ある女のブログ

モヤモヤを言語化して自分を納得させたい

子供の役割「ギバー」

たぬかなさんの配信の切り抜きをよく見ているんですが、彼女は三人兄弟の真ん中っこで、圧倒的なギバーらしい。

 

おかあさんに60万だったか70万だったかの美容施術をプレゼントしたみたい。

 

でも、おかあさんは常に弟さんの方へ気持ちが向いている、と。

 

 

私はたぬかなさんみたいに面倒見もよくないし、性格もよくないから、

母に美容施術はプレゼントしないけど、

 

昔は母の愚痴聞き役を務めていました。これはこれである意味、ギバーだったのかもしれない。

 

 

 

母にとっては、複数人いるうちの一人と仲良くできていれば、母親ごっこは完結するのかもしれないけれど、

 

娘にとって母親は一人だから、その母に母親役を降りられてしまうと、娘役ができなくなるんですよ。

 

女性特有の悩みを相談できる人がいなかったり、友達とのいざこざやモヤモヤを吐き出せる相手がいなかったりするんですよね。

 

 

 

だから、母親役を別の人で埋めようとする。

 

 

 

でも、母親役って難易度が高いから、誰でもそう簡単になれるものではない。

 

探す過程で、期待して勝手に傷ついて、また別の誰かに期待して勝手に傷ついて・・・

 

そうこうするうちに、あーもう人付き合い面倒くせえなって思うようになって。

 

やっぱり人間関係って与え与えられの関係じゃないと続かないんですよね。

与えてほしい与えてほしいって、がめつい顔をした人間の周りに、人は集まってはこない。

 

 

親に恵まれた人がもしいるのなら、その人って、めちゃくちゃ幸せだと思う。

なんの努力もしてなくて、母親役をゲットできているんだもの。

 

容姿が良く生まれたとか、頭がよく産まれたとかその一種の運のよさかもしれないけど、

でもでも、愛をたくさん与えてくれる人なんて、後々探そうと思っても、なかなか見つけられないんですよ。

 

しかも、厄介なことに

愛を与えられてないと、まず与えてくれる人を探そうとするから、なかなか見つからない。

そもそも愛を与えられてきた人って、自分が与えることにも抵抗なかったりするから、きちんと愛を与えて与えられて・・・対等ウェイ!みたいな関係が容易に築けたりする。

 

 

歪な人って歪な人を選びがちなのかな。

 

 

人って疲れる。